続・向健徳の野望 第二話
健徳は東適道人より仙号を貰った際、一つの条件をつけられていた。それは「神」を信仰の対象とする教えを広める事であった。
そして考え抜いた末、「奉教」という名の宗教を立ち上げた。
そのまま読めば、「たてまつる教え」である。宗教の内容はこういったものであった。
庭に簡単な祭壇を作り、毎日、朝・夕に供物を捧げ神や先祖の霊を敬えば、幸せになれる。などといった、とても簡単な教えであった。
当時、朝廷から絞られるだけ絞られていた魏の民にとって、この宗教は心のより所となり、瞬く間に泰山周辺の青州、徐州を中心に広まっていった。信者は数万を数える程になった。
そして健徳はこの勢いを利用して、魏へ反旗を翻そうと考えていた。健徳は大いに魏を嫌っていた・・・なぜならば彼の父母は村への税の徴収が酷すぎると役人に意見したため、その場で殺されたからである。そして、魏への強い恨み・憎しみを持つようになったのである。
反旗を翻すための手筈として、まず信者の中から有能な者を選抜し、幹部としようと考えた。そして、孫明・陳竣・法秀・鄧成という四人の信者を選抜した。
孫明は活発で武に優れており、陳竣は忠義心溢れ、人を統率する能力に優れていた。言わばこの二人は武官である。法秀は残忍な面もあるが知略に優れており、鄧成は温厚で政治に深く通じていた。言わばこの二人は文官である。
この四人を主とし、信者を地域や部署に分け、各地で布教させた。そしてその勢力は日に日に増強されていった。
しかしこれを魏が見逃す訳が無い。これ以上の広まりはまずいと感じ、兵1万5千で健徳の本拠、泰山の麓の村を急襲した。
まさか魏の対応がこのように早いと思っていなかった健徳は、今は戦うべきではないと思い、主な者を引き連れて青州、北海あたりの山林に逃げ込んだ。
「今後、我らは如何にすべきであろうか・・・。法秀、そなたはどう思う?」
と健徳は聞く。少し間を置いて、法秀が答える。
「・・・遼東の公孫淵の元に逃げては如何でしょうか?と言うよりはそれ意外に方法は無いでしょう。魏に投降しても我々は確実に殺されますし、呉や蜀に逃げ込むには少々危険が伴います」
残りの幹部三人も頷き、健徳はついてきた信者数百と共に船で遼東へと向かった。
そして数ヶ月後、公孫淵が都城の襄平へ着いた。しかし、公孫淵の対応に愕然とした。
健徳らは、魏の勢力内で勢力を保っており、大司馬を自称しているため公孫淵はなかなかの人物ではないか、と考えていた。
しかし彼は愚君であった。他所からの者を迎えると言うのに、左右には妾を侍らせており、また服装も乱れたものであった。
「遠路はるばる来た事、感謝する。しかしよそ者を雇う余裕は俺にはないから、まあゆっくりしていってくれ」
と公孫淵は適当に言い、すぐに下がれといい始めた。
立場は自分達の方が下であるから、その場は耐えたが、やはり焦りの色は隠しきれなかった・・・


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